先日は見事に気絶し、その後もバラバラ泣いて意外な私の打たれ弱さを露見したが今朝はまずまずの起きがけだった。少々頭が痛いがそれは長時間泣いたからであってとりあえずは鬱状態にはなっていない。まぁ、そんなことは過去の一連の辛い事件から考えると序の口なので当然なのだけれど、師匠からは「大丈夫?10円禿げになってない?」とメールが来て私はこれはもうちょっと彼を困らせようと感じてどんよりした気分だよと答えた。とはいえ、彼は私の起きる時間を見計らうようにしてわざわざ彼の仕事の始まる直前にメールをくれたので、それがとても感じが良くて私は機嫌を少しだけ直して頑張るよと返信しなおしたりした。布団から何とか這い出て鏡を見たらいつもは二重のまぶたが昨夜泣きはらしたことによって一重になっていた。まるで羽田陽区のよう。悪ガキ過ぎる師匠をしつけ直さないといけない。

 仕事に出て仕事をし、昼ごろには一重まぶたは二重に戻った。同僚のAちゃんがテスト整理のために出かけている時は一人なのだけれどなんだかそういう時になると漠然とした不安感に襲われてふと泣いたりしたが、そうはいいながらアマゾンで買った『天使猫のいる部屋』をたくましくも一気に読み終えてしまったりした。なんというか、師匠の肌に他の女性が触れたという想像をするだけで食べたものを全て吐いてしまいそうになる。という事で、師匠には3回くらい戻したよと嘘をついて困らせようと予定して紙にしっかりとメモした。

 夜、師匠が「Oさんが気を使わせてしまって悪かったねって言っていたよ。」とメールをくれた。これは、Oさんが私に彫銀のペンダントトップをくれたので、そのお礼として私が大学ブランドのハムやスモークチキンを買って師匠の家に送りつけ、Oさんに渡してねと頼んだいきさつからの内容だ。が、私は師匠を心配させてやろうと思ってそのメールを意図的にシカトした。だって、なんだか辛い思いをさせられたのだもの。当然これくらいへそを曲げても良いだろうと思って。

 私のやった悪事の方は棚に上げているけれども。ま、ハンデということで。
 昨日のスキーでそれなりに疲れたので10時過ぎから行動を開始した。一歩外を出たらすぐにテレビによく出てくる有名な町。師匠と日曜の原宿を通過するのは面白い。もの凄い人ごみで大変ではあるけれど、何かの雑誌の撮影をしているのを見かけたり、もの凄いゴスロリファッションが居たり、大喜びで記念写真撮っている人が居てちょっと嬉しかったり。

 師匠は私の手を引いてどんどん歩いていき、GOGOカフェでブレックファスト。その足で電車に乗って御徒町、工具屋さんに寄ってから歩いて秋○原へ。師匠は気持ちの悪い人が沢山居るんだと私に言って見回すと本当に何だかやばい。寝癖と毛玉のついた色白のチビデブばかり。師匠は絶対素人童貞ばかりなんだろうなぁと決め付けてニヤニヤ。私はその単語を初めて聞いたのでなんだか面白がって口にしていて師匠は悪い言葉を教えてしまったと反省。そして、職場のONさんが周囲でそう言われていたので師匠がある時はっきりと聞いたら、「うん、そうよ。」とかなりあっさり言われて絶句したとか、Kさんという人にも聞いたら必死に隠していたから怪しいとか明け透けに語って今日は柄が悪いし口もかなり軽い師匠。雑踏の中でいつもより若干戦闘モード寄り。昨日の長野の空気の中とはイメージがまた違う。

 私はマウスとミニディスクリーダーを購入して師匠はドン・キホーテで生活雑貨を購入。その上の階がメイドカフェなのだけれどもちろん寄らずに雪が降って来たので帰った。私は昨日のスキーで横腹が両方筋肉痛で痛い。師匠もふくらはぎが筋肉痛で痛いらしい。

 原宿に戻ってからキディランドでパンダーZのマスコットを買った。キャラクターは可愛い。私はアルカモーネとかジゴロウくんとか青首大根とかをいじり倒して大うかれ。しかし、師匠がぐったりし始めたので師匠の部屋に帰って暖かいものを飲んで少し休んだ。落ち着いてから夕食に行こうと言う話しで師匠は私の携帯電話にパンダーZのマスコットのチェーンをこまごまと着けてくれた。師匠は器用だ。そこが好きなのだろう。真剣な横顔とかまっすぐな髪とか本当にいい感じだ。

 で、私が師匠は玄人童貞なの?と何気なく聞いた。まぁ、真面目というか硬派なので当然そうだろうと思っていたのだけれど、それは甘かったのかな。師匠は、うん・・・そうなるかな。でも10年前に会社の飲み会の後に駒込に行くかって聞かれて6人でピンサロに行ったことがあるけどね。あれ、凄いね3回転で5千円だって。終わったら近くの喫茶店でみんなで集合しようなって約束だったんだけど6人中2人はいけなかったらしくてブスだったケチらずに指名すれば良かったって文句言っていたけれど俺があたったのは3人ともなかなか可愛くて、まぁ、俺も二十歳だったしな。Mくんなんかもあれそうだよ、今は奥さんが居るからあまり行かなくなっちゃったけど彼は雨の日にしか行かないって言ってたな、顔を隠せるからって。なんだか恥ずかしいんだよね、ビルの階段に列が出来ていて出てくる人が降りてくるし、待っている人はバリバリ見られる訳だし。あと、3人が入れ替わる時に時間が少し空くんだけれどその間なんか小さな布を乗せられてそのまま待っているのが尚更恥ずかしいんだよね、ライトなんか赤だし。でも、後で知ったんだけどズボン履いても良かったらしいね。そうそう、仕事場のスポーツ新聞にその日のピックアップされた女の子が紹介されるんだけど俺が見ると必ずその横にボールペンでコメントが書かれているんだよね。良かったとかゆるいとかいろいろ。ってか、変態多いよ。この前なんか俺が職場のトイレでションベンしてたら隣に立ったのが「俺、女子高生のうんこ食べちゃった。」って言い出して、「え、マジっすか、それやばくないですか。」って答えたら「あーでもこれくらいだからね。」って親指の先を出すの。あ〜、これほんとなんだな、怖ぇ〜って思った。

 なんて言い出して、その時、二人で夕食に出かけようと立ち上がっていたのだけれど私は血の気が引いてしまった。師匠の口からなんて言葉が出てくるんだってあっけにとられていたけれど私は思うだけではなくて何かの限界に来たらしい。私は自分でやばいと気が付いて前を行く師匠にもたれ掛かったのだけれどそのまま気を失って倒れた。くらくらくらくらくら〜って。師匠はかなり慌てて私を抱き止めると布団に私を包んだらしい。で、ショックを受けた私は後から後から涙が出て立ち直れないしとにかく体が震えて寒い。師匠は無言。反省しているのか混乱しているのか分からないけれどとにかく無言。彼は私を抱きしめて私は泣くだけの図。

 今回は、私を泣かせた師匠が完全に悪いと思わないか。

 定食を食べた後も師匠はとても素直で反省しきり。いつもはもったいぶって言わない「好きだよ」を私がねだるだけの回数を素直に言っていた。「もうしないよは?」「もうしないよ。」「悲しませてごめんねは?」「悲しませてごめんね。」「泣きやんで、は?」「泣きやんで。」「やだけどね。・・・俺焦ったよは?」「俺、めちゃくちゃ焦ったよ。あわわわわって。」「じゃあ、好きって言って?」「好き。」「君は僕の宝物だよは?」「ぬぬぬぬぬ!?」

 そんな風にふざけることも多少は出来たが全体的に雰囲気はギクシャクし、私は泣き過ぎて頭痛を起こし、電車の中でもどんよりとしたオーラを隠し切れず、タクシー乗り場でしならいおばさんに「あんた大丈夫?行き先が同じなら一緒に乗っていきましょう?」と言われて私は蒼白な顔でうなづいて一緒に乗せてもらってアパートまで帰って来た。雪が降っていて超寒い。10年前の出来事とはいえ、師匠ってそういう人だったのって軽蔑。だから、師匠に向かってあなたサイテーと連呼してきた。他の人なら別にいいけど彼は駄目なの。

1月25日の日記

2005年1月22日 日常
 早朝スキー場に到着。師匠と私はウェアやスキー板を借りて早速滑り始めた。長野のサンアルピナ鹿島槍はなかなかこじんまりとしたスキー場で午前中のうちに全て回れてしまったが、師匠と私はなかなか似たようなスキーのレベルで楽しかった。とはいえ、師匠の運動神経はかなり良くて板に慣れるに従って技術が向上して行き、仕舞いにはかなり上手くなってよく板を外して転ぶ私を笑っていた。私の板は5回ほど外れた。これはスキー板が悪いのだろう。

 私は自前のウェアを持っていたが師匠は借りたのでなんだか粗末。それをしきりに彼は気にしていたけれど私から見ると何を着ても滑れる人は格好良いと思った。ただ、今回の企画はちょっと安普請だったかな。待たされる事や案内の不親切、レンタルの物が粗末、そういうことが。でも、ま、楽しかったから良い。天気も良くてとても眺めが素敵だった。

 お風呂のチケットも付いているので滑り疲れた3時半にお風呂へ。そこで師匠を散々待たせたけれど彼はなんだか自慢げにしていた。なぜなら周りに座っていた人が男ばかりの3人連れだったから。単純なところが面白い。

 帰りのバスでも周囲の人が寝てしまっているのに私と師匠はいろいろと話し続けた。ストリートバイカーズのバイクは好きじゃないけれど女の子の特集があって私はそれに実は載りたいとか、斜め前に座っている女の子二人のマスカラがやけに濃いとか、あぁ、彼女たちとお風呂が同じだったけれど化粧のまま入っていたよとか、俺の洋服は職場の同僚のOさんに貰ったんだけれど彼は人に物をあげ過ぎるとか、師匠と私のペアリングのブランドのピンキー&ダイアンの鞄を持っている人が多かったとか話しまくり。

 なぜ、そんなに眠くないのか不思議。SAでもアメリカンドックを師匠に買って貰って話し続け、本当に楽しかった。

 新宿に到着してから大戸屋でやっと疲れを覚えた。頭が痛い。夜は彼の家ですぐに寝た。

1月26日の日記

2005年1月21日 日常
 仕事を終えてすぐに電車に乗って師匠に会いに行く予定だったのに終了時間すれすれに先生〜、コピー機が壊れたんですけれど、なんて学生に言われてコピー機を見る事になった。男子学生3人集まってなんでコピー機のふたを開けようと試みないのか私は非常に疑問。おお、開くんだ、なんて驚いているけれどちょっとそれは軟弱すぎる。で、私は詰まった紙をハサミでかき出す。

 そんな事をしていたものだから外苑前に到着したのは20時。改札口で師匠とじゃれ付いてから大戸屋でも二人でちょっかい出しまくり。ちゃんとシャワー浴びて来た?これからバスに乗るんだからと言ってお互いフンフンと匂いを嗅ぎあったり。こんなコミュニケーションがあって良いのか分からないが、はっきり言ってうざいカップルになり下がっていた。

 池袋からスキー場行きの長距離バスが沢山出ている。師匠と池袋を歩くのが楽しい。そして、止まっている沢山のバスのうちから一台を見つけて荷物を乗せる。列を待つ間、師匠はバスの周囲をウロウロしてタイヤをチェックしまくっていて私は呆れた。乗り込んでからも首都高を観察してこの場所はよく通るだのここは分からないだのポルシェが居るだの、車幅灯の色が変だのいちいちコメントを述べて来るので私はそんな彼の声がくすぐったくてならない。とにかくわくわくのしどおしだ。

1月20日の日記

2005年1月19日 日常
 ヤフ○クで落札した定期入れが無事に到着した。スキーに行くための書類も同時に届いたし、通販で買ったじゅうたんも届いた。仕事帰りにはコンタクトレンズも購入したし歯医者と健康診断の予約もした。師匠は一緒に住んでいる訳でもないのにマメに今日は飲んでくるとメールをくれたし、なんでもちゃんと予定通りに進んでいる感じ。

 帰り道、ふといつか岡山の人と大学横から私のアパートまで歩いた記憶が甦って来た。今の気温や空気の湿度がその時と同じになったからなのか、同じような気持ちになってその時の事を見事に思い出した。

 その時、私は彼と歩きたいがためにSLを自分で押して帰ったのだ。もちろん、彼が押すと言ってくれたが、私はどういった意地でか自分で押すと断って私が押していた。で、彼はDちゃんと、彼と同じ苗字のSさんという友人二人と遊んできた帰りで、私が一緒に帰ろうというメールを送ったために早々に引き上げて私と落ち合ったという流れだった。で、岡山の人は私に、今遊んでいた友人二人に「待っていてくれる彼女が居ていいなぁ。」って言われてきたと私に報告した。で、その時、私は彼が友人に羨ましがられたことが嬉しくて私に報告したのだと単純に考えていたのだけれど、今、彼の口調を正確に思い出すとその時は見過ごしていた彼の言葉から違うニュアンスを読み取ることができたのだった。

 彼は、友人二人に追い返されたのだ。で、私と帰るよりももっと長く友人と遊んで居たかったのだ。そういう意味を影に含んでいたと今更ながら知って、なんというか、しみじみと、「ヤツは私にはもったいないな。」と思った。

 だって、彼を置いて一人でバイクでさっさと帰ってしまっても良い所を健気に歩調をあわせてバイクを押して帰るような私で、さらに、アポイントなしでいきなり部屋に来ても、遅刻しても特に怒らないという優しい私にはもったいなさ過ぎだろう。ヤツはなにも気付いちゃいない。

 という事で、別に一緒に住んでいる訳でもないのに「今日は飲んでくる〜☆」と一言メールをくれる師匠はなかなか出来た相手だと深く思った。予定も立てて動きやすいし良い感じだ。というか、彼がもったいないので私をどうにかもっと良い感じにしないといけないなぁとも思った。

 で、一日を振り返ると今日もまた生暖かい仕事をして、というか仕事をしていなくて微妙だなぁと思った。これも4月になれば改善されるだろうか。

 母の話を思い出した。母さんはのん気な主婦の集まる水泳教室に行っていたのだけれどその更衣室で新しく入った奥さんがとても綺麗な下着を着けているのに気が付いたそう。で、母さんも明るい人なので「あら!素敵!」みたいに声をかけたという。その奥さんは掃き溜めに鶴、と言っては他の奥さん方に失礼なのだけれどとてもおっとりと綺麗な人で、彼女が遠慮がちに言うには「だんなが私はとにかく綺麗にしていろって言うのよ。」という事だった。母が言うには彼女の夫はよくいう、一代で財を成した人、というもので、服装で見くびられるという事を恐れるタイプだったのかもしれないという。だから、奥さんを綺麗にさせておきたかったのだろう。彼女のためにも自分のためにも。で、その夫妻は後に自殺してしまったのだ。後で知るには一気に経営が悪化したとのことで。いろいろと危ないこともやっていたらしいので、奥さんを残しておくのも忍びなくて一緒に連れて行ったらしい。

 母は、確かにおっとりとした奥さんだったけれど死ななくても女一人どこにでも逃げ場はあったのだろうにと言っていた。私は母の話と、経営がどうとかいう話を父に聞いて知るだけで実際には詳しく分からないのだけれど、とりあえずは、女性は旦那にくっ付いたものではなくてちゃんと一人でしっかりしないといけないなぁと思った。経済的に無理でも、せめて精神だけでもしっかりしないといけない。旦那が一緒に死のうとテンパったら引き止めるだけ強くないといけない。彼らに関しては経営悪化とか彼らなりの夫婦愛とか彼らのキャラとかも絡むからよく分からないけれど。

 まぁ、とにかく強く、だな。

1月17日の日記

2005年1月17日 日常
 もうデコ電に飽きたみたいにしている同僚のAちゃんに宣言した通り私は仕事帰りにユザワヤに行ってラインストーンを買って来た。小さいくせに結構高いやん!というのが感想。Aちゃんは携帯電話の一面をラインストーンで埋めようとしていたけれどそれはなんだか豪快過ぎに思うくらい。きっと、8千円から1万円位する。だから未だ半分しか付いていないのかも知れないと少々頭をよぎった。そんな訳で、私は368円分だけ買って来た。ちなみに20粒。現在の私の携帯は何を思ったか金箔で出来た和風の雲龍が付いているためにどうあがいてもそこから叶姉妹みたいなジャンルの姫電話には出来ないが、渋くだけは出来そうな気がした。で、黒いラインストーンを買った。何となくそのコーナーで売れなさそうな地味な黒。光ってないし。さて、どうなるかなって思案。

 師匠に、バーバリーのパスケースあげるわ、なんだか偽物かもしれないけれどPSPの替わりに、と昨夜言ったら、師匠は俺もあげる物ある、と言った。彫銀のペンダントトップ。推定2万円ほど。なに?どうしたのと聞いたら、職場の上司が自分が使うために買ったのだけれどいざチェーンを通そうとしたら通す穴が小さくて、自分の持っていたチェーンが通らなかったとの事。で、彼女にどうかと師匠にくれたらしい。もちろん師匠は、気に入ったペンダントトップならば細いチェーン買って着けたらどうですか、と聞いたらしいのだけれど細いチェーンは自分に合わないから使えないとの事。で、私に。う〜ん、美味しいこともある。

1月17日の日記

2005年1月16日 日常
 今日は貧血でぐったりしていた。休日で良かった、本当に。

 さて、同僚のAちゃんが最近デコ電作りにはまっているので興味を持ってネットで検索してみた。微妙なものは本当に微妙でかえって汚らしいのだけれど綺麗なものはなかなかセンスが良くて目の保養になった。Aちゃんの携帯電話は半分ほどまでラインストーンをくっつけた状態でいまいちな感じ。私として客観的に何を駄目出ししたいかというと女子高生チックというかなんだかチープ。なぜそうなってしまったからかというとラインストーンの直径が携帯電話の表面を綺麗に覆い尽くすには足り過ぎるか足りなさ過ぎるかどちらかで、なんというか、隙間が開いているから。それをごまかすには同じ大きさのラインストーンを几帳面に貼ったり、3種類の大きさのラインストーンを入れて試行錯誤するよりも何か大きなポイントとなるモチーフを混ぜ入れてその角度で石を並べる長さに帳尻を合わせた方が良い。それが足りない。また、それくらい大きさに違いがなければ単調というか、バランスが取れない。

 また、石を集めてモチーフを作るならば、単に色を変えるだけではぼやけてしまうらしい。はっきりと模様を見せているものは台にも何か平面のシールを貼っている。そういう研究をしてから取り組んだほうが良さそうだ。

 と、そんな事を言ってはいるが、私の携帯電話は現在、金沢の工芸品である金箔の龍がついていてヤンキー仕様(和風)なので、今更キラキラと姫のような携帯には変化させようがない。裏と表と雰囲気が違うとおかしいので今はただ羨ましがるだけにしておこうと思う。デコトラのように和風で攻めるのも良いけれどAちゃんの携帯の今後に期待して面白がっておこうと思う。

1月15日の日記

2005年1月15日 日常
 ニュースで振り込め詐欺についての特集をやっていたけれど、大阪の人が一番その手の詐欺に引っかからないらしい。で、一番引っかかりやすいのが静岡の人。それで静岡では関西弁丸出しのおばちゃんが「あれ、詐欺やで!」と忠告するCMが流れているらしい。大阪人は銀行振り込みが嫌いなのだって。なるべく人の顔見て手渡ししたいとか。それ、賛成。用心深いほうが良いもの。

 という訳でヤフ○クがどうも信用できない私。まぁ、店と素人的個人とはまずまず安心なのだけれどセミプロみたいなのが微妙なわけ。といいつつそういう感じのから微妙に安いバーバリーのパスケースを落札してみてしまった。ちゃんと本物ならいいなぁと思う。自信ないけど。いくら評価を見て良く書いてあっても自信持てない。最近のマイテーマは信用、かも。とにかく疑いのかたまり。

 ちなみに、この前のNSRのラジエータ(現在私のものになったバイクに着いているのだけれど)は師匠的に「値段道りかな。」という感じだったようだ。でもま、確かに「ゆがみ有り」って書いてあったので嘘ではない。ちゃんと使用出来てもいるし。だからこれは良かったというものだろう。

 あと、今日はJT○でスキーツアーも予約したけれど新潟は避けた私。これも、いつ何時、地震が起きないか信用ならないから。新潟は私のブランドリストから外れた。プーケットも同じく。旅行者も有名なところから選んでいる、というかこの前の天城越えした時にも利用して特に問題がなかったから。

 駄目なところは徹底的に駄目。それは、Aちゃんの所にセールスに来た布団掃除機の会社がやっぱり駄目だったことからも分かる。レンタルを頼んで少し待ってくださいと言われてから待っていてもいっこうに連絡が来ないとか、人が替わり過ぎとか。

 そんな感じで、今日の事務は一人だったということもあり楽だった。多少、貧血でだるかったけれども。師匠と今週末は離れていてそれも良い感じだと思った。メリハリかな。彼からは4歳になる甥っ子の写真が送られてきた。なんだかぼんやりしているみたいだね、寝起き?と聞いたらその甥っ子の父親である師匠の兄さんに怒られてびえ〜ん!と泣いた後だったらしい。私としては父親が子育てに関与している点が物珍しい。それも、母親が居ない時に父親が子供を連れて自分の実家に帰っているという図が私の生い立ちでは皆無なので。ほほえましい。

1月15日の日記

2005年1月14日 日常
 週末の予定について師匠と算段していた。師匠は雪が降ったら私と遊んで雪じゃなければ実家に帰ってバイクをいじりたいと言っていた。で、今日の朝のニュースを見て週末が雪という予報が出ていたので私と遊びたいと連絡。が、連絡の不行き届き。

 週末はお互い別々という事で。ま、それもいいか。私も貧血気味だし。

1月13日の日記

2005年1月12日 日常
 夜の八時から『A・I』を観て、さすがちまたで良い映画といわれるだけあるよねと思いながらも切な過ぎたのでもう二度と観たくないと思った。見ていて辛い。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観た時もそう思ったのだけれど切な過ぎてもうこりごりの気分になる。一つの事に一途過ぎて苦しんでいる人を見るのは辛い。単に私が感情移入しやすい対象なのかもしれないけれど。もう少し楽に生きようよと横から言いたくなる。

 今日は同僚の愚痴を聞いていて内心腹が立ってならなかったがそれを隠していたために疲れた。気疲れというものではなくて聞いているだけで自分が情けなくなる感じだ。私の仕事は他の仕事よりぬるいものだと思うのだけれどそれに気が付かないで同僚は文句を言っている。私から見るに休日も多い方だし給料もいい方だし待遇もそれなりだし規則正しい生活が出来て仕事の速度もクオリティも自分のペースを守れるしやりがいもレーン作業のそれよりかは人間相手なのであるだろう。周囲を見ても恵まれているはずだよと私は彼女に遠まわしに諭しても、相変わらず給料が安いであるとか休みが少ないとか私から見るとそうでもない事を言い続けるのでそういう愚痴が好きなだけなのかも知れないと納得しようと思いつつも私は彼女の理想が高いのかもと思い直しそれなら転職すれば良いでしょうと答えた。彼女は何か公務員になりたかったらしいので。すると、もうそんな情熱は薄れたような事を言ってはぐらかしていた。

 最近、こういう時のコツを覚えた。相槌に関して解決策や考え方のプラスになるような方法をいくつか述べるよりもただ機械的に「わかるよ〜、わかるよ〜。」といい続ければ良いということ。そうすれば一日ご機嫌。とはいえ、いい加減洗脳されそう。

 先日、師匠がニュースを見つつ「俺が父親なら犯人を殺しに行くねっ。」といきをまいていたという事があったのだけれど、その時私は、アマゾンで「さまよう刃」という本が紹介されていたのを思い出していた。フィクションだとは思うのだけれどどうやらこれは殺された娘のために父親が犯人に復習しに行くという話しだったはず。それで父親が逃亡して「さまよう刃」な訳だ。以前あらすじとレビューだけちらっと読んだ事があったのだけど面白そうならば近々読んでみようかなぁと思った。父の娘への思い入れは計り知れない。

1月12日の日記

2005年1月11日 日常
 斜め下のSさんとは未だに冷戦が続いており、というか、私から完全に嫌って電話やメールが届かないように彼のデータの全てを着信拒否に設定しているのだけれど、師匠伝いに「CBRをどかして欲しいらしい」と聞いた。それで私は、おててが汚れちゃうから嫌っす、と答えて板ばさみになった師匠が散々困っていた。夜中に外に出たくないのじゃあ。

 でも、結局お風呂も入っていないのに湯冷めしちゃうとか言いつつバイクを移動しに外へ。で、暗闇でカバー外しにかがんでいたら二つ横の部屋に住んでいる大学生の男の子に超警戒されてお姉さんは多少なりとも凹んだ。

1月10日の日記

2005年1月10日 日常
 今日は祝日なので怒涛の正月の後片付けをした。とりあえずアパートの前に私の所有物としてCBRが置いてあるのがなんだか私の柄ではないような気がして恥ずかしく、以前盗られたSL用のカバーをかけて隠してみたりした。なんというかカウルに守られて丸々しているのが私としては違和感がある。でも、可愛らしいという単語を付けてなんとなく受け入れてみた。思えば私は何でも受け入れがち。そこにあれば身内という風。それはカッコウに卵を頼まれた鳥の気分。巣に帰ってきたら何だか妙な卵が置いてあって、「あれ?こんな卵あったっけ?まぁ、あったのかな、う〜ん、あったような気がしてきたかもかも?」って感じ。それ、とても危険なことなんだけど。

 昨夜、くつろぎつつ私が思いついて師匠にきっと斜め下のSさんは甘える女性が好きだよ、だって彼が飼っている(とはいえ、現在はSさんの母親が飼っている)ウサギを紹介してくれた時に「こいつ甘えてきて可愛いんだ。」って自慢げだったものと言ったら、師匠がそれには答えずに「そういえばSは最近出会い系の話をしないなぁ。」と言い出した。まぁ、彼がバイクではなくてカートに移ってあまりSさんと接触しなくなったからだろうけれど。師匠が風呂の中で語るには人間モテる時期が3回ほどあるという事だった。

 彼は1回目は小学校の低学年でませた女の子に追いかけられていたし、中学2年の時に3(+2)人から好かれていたという。仕事に就いてからは元ヤンと言われる先輩に好かれていたというか飲み会に連れて来てよと師匠の同僚にリクエストを受けていたらしく、それはまぁ機会がなく師匠も話半分に乗り気ではなく流れてしまったのだけれど軽く好かれる程度はままあったらしいという事だ。私は意味ありげな中2の時の話を聞いたが、3人はヤンキーで直接告白されたけれどその気がなかったので断ってしまい、もう二人のうちの一人はバレンタインデーに差し出し人の名前なしでチョコをくれて(それはクラスで一番成績の良い子だったという事で師匠ママもその存在を知っている、ちなみに師匠はクラスで2番目だった)、もう一人は後輩で友人に噂を聞いただけだという。という事で、なかなか師匠もモテる方で私はその話を聞いて光栄に思った。中2なんていう一番恋愛に思い詰めやすい時に撃沈した女性が居るのに、私が師匠と付き合えているのだからそれは光栄であってなにものでもない。やたらと感慨深くなってご機嫌になっている私を見て師匠は不思議がっていた。

 後で思ったが高専時代と社会人になってから25の時に付き合ったという女性2名に関しての話は未だ聞いていないが、それはなんとなく器用に話に出さないところからなんとなく師匠から能動的に好きになったという事が予想されてそれはそれで素敵なような気がした。なぜなら私と付き合っているという事は師匠からも能動的に好きという事なので。

 あと、風呂上りにニュースで奈良の小学校1年生の女の子が殺害されて犯人が捕まった事の特集をやっていたのだけれど、師匠は女の子の歯が抜かれていたという点でしみじみ可哀想だと思い入れて俺が父親なら犯人を殺しに行くね!裁判なんていらない、俺が決めたけどもう死刑!と一気に言っていた。とはいえ、そんな事は当事者でも現実では当然出来ない。憎らしいという気持ちにはみんななるけれど。

1月10日の日記

2005年1月9日 日常
 朝は10時ごろに起き、平塚まで電車で向かう頃には12時になっていた。師匠と二人での電車移動はなかなか珍しく、それでも都内はそういう移動もままあったけれど今日のように海がちらちら垣間見える空いた東海道線はちょっとした旅行気分であり、ついでに師匠があまりにも話すものだからうっかりして甲府津まで降り過ごしたりもした。逆方向への電車を待つ間のベンチで師匠がムスッとしているので放っておいたら彼は「いい天気でなんかいいなぁ〜!」と爽やかに言い出した。という事はどうやらムスッとしていた訳ではなくてのどかにぼんやりしていたらしい。私もまだまだ彼の表情を読みきれていないなと自らを戒めた。今日は冬にしては暖かい晴天だ。陽だまりでは暑いくらいだし、海の色も綺麗な青だ。

 二人で平塚から散々歩いてバイク屋に行き、師匠の購入したSBを納車された。私は彼のバイクの後ろに乗って帰って来たが、今となってはCBRの後ろのほうが乗り心地がいいような気がした。それは、SBの座席が狭いことと、タンデムステップが上に付き過ぎて私の足が苦しいこと、発信したり止まったりするたびにふわふわ上下にゆれる事。それらがやけに気になって。

 NAP’Sに寄った後、アパートに帰って来てから師匠がさっそくSBをどうにかしなければと言ってすでに日が陰り肌寒くなった外へい続ける。工具を毎度のごとく斜め下のSさんに借りに行くのでSさんも外に出て来ていろいろと話し込んでいる。そこへ近所のおじさんも加わってキャブレターなんかを取り外したのを手に乗せて覗き込んでいるので外は地味ににぎやかだった。その間私は夕食を買いにKSRで出かけたり。

 夕食前、師匠が特訓だと言ってCBRの取り扱いを私に教えてくれた。なんとか押せるところまでやってから私は彼に頼んでバイクをゆっくりと横倒しにしてもらって起こした。CBRは倒れたら両方のタイヤが地面から離れてしまう。それをまず地面に付けてから覆いかぶさるようにして一気に起こす。師匠の「両足で踏ん張れ!」の言葉と共になんとか起こした。これで、私もCBRを扱えそうな気がした。あとは名義変更だけ。

 その後、夕食。彼は22時も過ぎてSBで帰って行った。1時間半後にメールが来ていて「寒くて死んでしまふ(>_<)」と書いてあった。お風呂に入る時に湯冷めしないように入浴剤を入れて、芯から温まろう作戦を決行したがやはりそれではカバーできないほどの寒さだったらしい。

1月10日の日記

2005年1月8日 日常
 仕事は10時半からの仕事始め式だけだった。何をするかというと偉い人の演説と鏡割りを見た後に談笑してものを食べて先生や上司に挨拶して回るというもの。とりあえず管財と庶務と同僚と新しい配属先の先輩に挨拶しておいた。挨拶の後の一言二言は上司が「職場には慣れましたか」とか「実家に帰りましたか」なんて無難なことをリードしてくれるのでそういう点に少しばかり感動した。帰りがけに残ったフライなどの食べ物と活けてあったバラ1本とカスミソウ2本を持ち帰って来て部屋に飾った。

 『少林サッカー』眺めつつマニュキュアを塗っていたら23時半に来ると言っていた師匠が一時間も早く来て私はヘルメットなどを受け取って彼を部屋に招き入れたりしたら乾かないマニュキュアがボロボロになったりした。彼は凍えていたのでギュウとやってヒーターも点けて暖めた。いつもながらバイクというのは大変。ちなみに彼は都内で車を置く場所がないのでバイクに乗っている。とはいえ、電車で来ればいいじゃないかという突っ込みも入れようと思えば入れられる。しかし、今回は私にCBRをくれるために持って来てくれたのだけれど。で、彼は予定よりも1時間早く到着したことについて喜びまくっていて私はそれをいけない事だと叱った。

 スーパーで一番高かったプレミアムモルツと太いウィンナーを熱々にして出した。職場から持ち帰った揚げ物も早く食べたほうが良いのでそれも出した。

 彼はずっと手を繋いで寝ていた。途中起きても繋いでいた。次に起きたら外れていたが、それは翌朝聞いたら私の手が下になっていたので血が流れなくなってしまったら大変だと配慮したとの事だった。甘甘な生活がずっと続くと良い。

1月10日の日記

2005年1月7日 日常
 昨夜に乗り込んだバスが6時に横浜駅に到着した。隣に乗っていた人が夜中も座席を倒さずに寝ていて異様だったので私はゆっくり寝られず、何となく頭が痛い。

 という訳で、今日は住民票を取りに言ったり等、やる事が沢山あったが一日寝ていてしまった。ちょっと失敗した。ちなみに、ネズミは元気。

 夜中に師匠から電話が来て保険を継続できたかどうか聞いてきたが私は寝ていたと答えた。しかし、彼は全く気分を害したようではなく、それなら納車には歩いて行くかと言ってくれたので好き度がUPした。

1月10日の日記

2005年1月4日 日常
 母と駅のほうに買い物に行った。とはいえ、道はかなりの渋滞でほとんど一日を車の中で過ごしたという感じだった。母の運転はしばらく見ないうちに荒くなった。発進と停止がどうも急だ。私は昨日同様、少々車酔いをした。母は渋滞だからそういった運転になるんだと言っていたけれど以前の運転とはやはり違ってきたし、注意力も衰えたような気がする。なんとなくそろそろ親孝行をしないといけないような時期なのかなぁとか思った。母はまだ小奇麗に若作りしているけれど。

1月4日の日記

2005年1月3日 日常
 携帯電話が新しくなった。今回はF506i。今まで使っていたF251iは2年ちょっと使ったので若者としては偉い方。まだ使おうと思えば使えるのだけれど新しいものが出ているのにいたずらに購入を引き伸ばすのも賢くはない。それは、どうせ使うなら早いうちに新しいものを使った方が長く新しいものを使えるから。

 携帯は母さんとAPITAで買って来たのだけれどその帰りに祖母の家に寄って母さんが祖母に頼んでおいた資生堂か何かの化粧品の福袋を受け取りに行った。ようするに二つ買っておいてということ。その頃、私は携帯電話を操作するのに一生懸命で車の中に残っていたのだけれど。で、その帰り道に母が車を運転しつつ言うには祖母はかなり物忘れが激しくなって来て、かろうじて頼んでおいた事は実行できていたのだけれど(まぁ、毎年の事だからね)その荷物を家のどこに置いたか分からなくなっていたし、今回訪れたのは荷物を受け取りに来たのだという事を何か話しているうちに忘れていたと言うのだった。母が気にするのは祖母は74歳で認知能力が衰えるにはまだ早いのではないかと言う事だった。確かに老化が早い。祖母より年上の祖父のほうがしっかりしている。それで、母と二人で、祖母が仕事を持たずに趣味程度に生きてのんびり暮らしたからではないかなどと推論したり対処法を考えたりして心配した。

 それはそれで、補聴器を着ければ情報量がUPして脳が活性化するのではないか等の別の結論や対処法が出たのだけれど、今、一人で考えると人間は時間的にも有限な生き物なんだなぁとしみじみ思った。私はもったいながりな方なので学研の教材で紫外線に反応するペンなどが付いていたりするとペンがもったいなくてあまり沢山書いたりしないようにしていたのだけれど、結局長年のうちに忘れていたり興味がなくなったりして見つけた時には乾いてしまっていたり、テストで間違えた箇所を後で見直そうと思って取っておいたら取っておき過ぎて入試になってしまったりいろいろな失敗をした。現在も、後で読むと思って本棚に入れた本がおそらく生きているうちには読みたくならなくて死ぬまで読まないのではないかと思われるものが数冊あったりしてしまう。

 そういうものは、有限な時間の人生において整理整頓等の手を煩わせるだけ無駄だし、物としても役に立たないまま劣化して可哀想なのではないかと思う。そんな訳で、明日は実家の私の部屋に置いてある手塚治虫の漫画を全部弟にあげてしまおうかとか、思った。あと、今日、まだ前の携帯が使えるのに最新機種の電話を買ったのも有限な時間の中では良い投資だったと思った。それと同じく、家に置いてある布団も一番良いものから使った方が良いし、もらい物の日本酒もいいものから順に飲んでいくべきだと強く思った。

1月4日の日記

2005年1月2日 日常
 15時過ぎあたりから祖父母と伯父二人が私の実家に来て新年会となった。母が言うには祖母が結構経たって来たという。祖母の家での新年会がなくなって今年で2回目になる。弟も中2に育って(身長は165cmになった)なかなかよく手伝いをするので家でやるのもいいと思う。弟は14歳らしく自分の髪型を気にし始めたり、宿題で行き詰るとかっとなったりして騒いだりしてはいるが、なかなか素直で笑いを取る能力に優れた人間に育っていた。

1月4日の日記

2005年1月1日 日常
 家族4人で初詣に行ったのは夕方になってから。それは、私が15時頃から一眠りしてしまったため。昨日は26時くらいまで起きていたから。全体的に夜更かしな家族だ。

 さて、毎年恒例の初詣でやはりおみくじを引いたのだけれど、小吉で「恋愛:この人を逃すな」と書いてあった。言われなくても逃さない。あと、占いが入っているお菓子である辻占(つじうら:地方色があると思う)には「ただなんとなく」と書いてあった。なにが何となくなのか分からないけれどとりあえず去年が大吉でなかなかいい年だったので今年は小吉程度に仕事も恋愛もいい年なのかもしれない。期待できると思った。ま、現状維持に全力を傾けようと思った。

 日々の積み重ねが後につながるのだから(有休もパラパラ不用意に取っていたらあっという間にあと5日しかないですよ!だからその逆で)もっとしっかり一日一日と現状を濃密に極めていこうと思った。今年も濃密に頑張ろうと思う。

1月10日の日記

2004年12月31日 日常
 備えあれば憂いなし。来年は逆算を念頭において準備に準備を重ねる方向で暮らそうと思う。また、自己防衛も強化しようと思う。特に、ストーカーになりそうな危険要素は育つ前に対処しようと思うし、それらが近づいてこないような人になろうと思う。具体例としては、論破されるという以前に議論するような距離に相手を近づけないとか。彼らは性欲で動いているのでどんな論理や詭弁も展開してくるし、粘着質で収拾が付かない。

 そんな訳で、魅力的な人間になって隙を作らないように来年も努力しようと思う。

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